ゴルフ

月、火と当直だったため、久しぶりの練習。

【固定ローラー:65分 40km、L4 50分走】
インターバルをしようかどうか迷いながらスタート。
まるまる2日間練習を休んだためか、脚が軽い。いつもよりパワーが維持できる気がする。
ということでL4の忍耐練に変更。
まだパワーデータをダウンロードしていないのではっきりしたことは言えないが、
走りながらモニターを眺めていた印象ではほぼFTP近いレベルをkeepできていたような感じ。
もちろん30分すぎたあたりからはしんどくなってきたけど、以前よりは少し楽になったような気がする。FTP値はもう数ヶ月間見直さずに練習してきているけど、実は少し上がってる

本当は60分間走したかったが、練習のおかずにしていた『Paris-Roubaix 2009』のdisc1が50分間走ったところで終わってしまいテンションだだ下がりでそのまま終了。

■ゴルフ
練習前に実家で娘と一緒に夕食をいただいた。
火曜日夕方に放送していた鶴見辰吾がピナレログランフォンドに参加する特番を見ながら食べた。
最新鋭機ドグマ60.1をもらっちゃうなんてものすごくうらやましい・・・とかではなくて、鶴見辰吾がなぜ自転車なのか?というような質問に答えていた部分が興味深かった。
「40歳を過ぎ、自分の人生がこのまま下り坂になっていくのか、というあきらめに抗えるのがスポーツであり、なかでも自転車は自分に向上の余地があることを最もわかりやすく伝えてくれる」的な感じだったと思う。

これは何も40代に限らない。
社会人になり学生時代にしていたスポーツを中断してしまうと、スポーツに打ち込んでいた人ほど、過去の自分が当たり前に保持していたパフォーマンスが維持できなくなることに苛立と不安を覚えるのではないだろうか。特に持久系スポーツ。
失われたもののかわりに、もちろん仕事に取り組んでいくことで新たな自分を発見していくことに生き甲斐を感じるべきなのだろう。けど少なくとも僕は、体力という生物としてのより根源的な能力が失われていくことに強い不安を感じる。ある種、強迫観念にも近い。

また、僕の場合、スポーツで自分の限界を出し切れた、というほど練習できていたわけではない。というか正直言って色んな言い訳を作って自分の限界を直視することから逃げていた。だから未だに何か自分の限界を確かめたいという欲求を満たす方法を模索している。(相変わらずそんなフリをしているだけかもしれないけど)
仕事は周囲の環境因子に左右される部分が大きすぎて、自分の努力がそのまま結果に反映されることがスポーツに比べて少ない気がする。
鶴見辰吾の指摘するように自転車は自分の努力した分だけ、かなり結果にそれが反映される。その結果というのは、速くなっている!というような主観的な感覚であったり、順位など客観的なものであったりするが、努力が自分を裏切らない。それがなにより自転車、特に練習としての自転車を続けている理由だと思った。

うちの父親、弟はゴルフ大好きで、僕にも「スポーツ」としてゴルフを勧めてくれる。
凝り性な僕の性格だから、始めるとハマるのかもしれない。
けどゴルフは僕の中では「スポーツ」ではない。
プロ選手レベルまでやり込めば「スポーツ」だと言えるだろうけど、一般的なレベルではあれは完全に「娯楽」だ。自分の限界を確かめるものではない。

求道者ぶるつもりは毛頭ないが、果てない自分の限界を見たくて、僕は今日もペダルをこぐ。